普通のことを普通にする

普通のことを普通にするために日々行う普通のことを書いていこうと思います。

週末ごとに余裕がある幸せのおかげで夏が恋しい

完全に錯覚なのだが、このところ無理やり土日を休むことにしてから、結構心にゆとりができてきた。と同時に平日の緊張感がなくなり仕事に集中できなくなりつつある。急激な生活リズムの変化に伴う過渡現象である。(と信じたい)

そんなわけで、平日の夜に「聲の形」を見に行った感想を書こうと思ったのだが、それだとただのアニメ好きなのかと思われるのでやめておきます。

ちなみに私がアニメを見る理由は、映像良いしやすい体質で動きの多い映画やテレビは長時間みれないためです。(フレームレートが60とか120とかだと酔わないという説もあるので、いずれ試してみたいです。)

ちなみに「聲の形」については、場所のせいもあったのかもしれないが、見に行った平日の夜は10代の若者だらけだったので、けっこうな歳の社会人の方は一人で行くと映画よりも切ない気持ちになれます。

夏が終わった頃の夏っぽさへの郷愁的な心持ちはなんなのでしょうね。夏の暑いの、あんなに嫌だったのに。

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ファミレスの普通さ

ちょうどブログを始めたあたりからちゃんと土日を休むようになり、昨日も休みだったのだが、これまで長い間ずっと土日も仕事をしていたため、休みの日に何をしたら良いかわからなくなっている。

そんなわけで、別に疲れてるわけでもないのに寝すぎてしまったり、起きたとしても布団の中でスマホを見ている週末を送ってしまい、夕方ごろに、「ああ、今日も何もしなかったな…」と後悔を始めてしまう。

昨日やったことといえば、昼に起きて、朝昼兼用のご飯を食べようと、サイゼリアに行ったことぐらい。

サイゼリアといえば、コスパが高くお気に入りのファミレスである。

ファミレスは子供のころはそんなに行った記憶がなく、地方だったこともあり、高校・大学生のときも、それほどファミレスにお世話になっていなかったのだが、大人になって東京に来てから、、というか、ついここ2、3年ほど前から、よくファミレスに行くようになった。多い時では週に5日ほど行ってた時期もある。

ファミレスは自由である。

東京において、飲食店では人と人、お店と人の距離が近い。そんななかにおいて、地方であろうが東京であろうがほぼフォーマットを変えずに存在するファミレスは安心感がある。一人であろうが複数人であろうが、お茶であろうがご飯であろうが、すべての人のニーズを拒否しない。

特に夜中のファミレスは、一人、学校や資格や英語の教科書を机の上に広げもくもくと勉強をする人たちが、お互い無言の刺激をしあう。そんな自分と向き合う人たちの社交場なのである。

最後に、Uta Barth風の淡くボケた写真でもどのファミレスかわかってしまうほどの刷り込みを思い知る写真を貼っておきます。

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普通の練習

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私は、たとえば、普通に早起きをしたりとか、仕事で普通の事務処理とか、そういったことが決定的に出来ないのですが、出来ないというだけではなく、普通のことを普通にしたがらないという悪い癖がある。

初めて作ろうとする料理で、しかも食べたことがない料理だとしても、レシピを見ながらこのまま作っても面白くないな、とか考えてしまい、勝手に調味料を変えたり材料を変えたりして不味いモノを作ってしまう。

仕事でもそういうことをやってしまうところがあり、私は元々はエンジニアの仕事もしていたのだけども、ついつい定石を守らず、自己流の変なアレンジを加えてしまって、普通に普通のものが作れないという問題がある。

そこで、一念発起して、今日、何かを普通に雑念を入れずに淡々と作ってみよう、と、トライしてみたものの…理由はわからないが、どういうわけだか結局完成せずに終了。

よく、「基本ができない奴には応用はできない。」と言いますが、実際にはそんなことはなく、基本ができなくても応用は出来ます。でもその逆は…だし、また、基本が出来ても応用が出来ない人も多数いることを考えると、これはもう、単なるその人の性質ではないか、というどうでもいい結論にたどり着くのでした。

どうでもいいついでに、写真は本文には関係ない「いろはす」の写真です。

人生で一番大きなお金を振り込んだそんな日は

今日は人生で一番大きなお金を振り込んだ。

といっても、想像されるよりは小さな金額であろうと思う一方、想像されるよりも大きい金額かもしれない。

家を一括で買う人もいるぐらいだし、相対的に見れば全然小さい金額ですが、自分的にはとても大きな区切りとなるイベントでした。

そんな大きな振込と自身の中の区切りをつけた日は会社を休むのである。(単純に代休を消化しなければならなかっただけなのだけど)

 

ということで、今日は移転した山本現代SCAI THE BATHHOUSEのアニッシュ・カプーア展に行ってきた。

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先日、クリスチャン・ボルタンスキーの講演会に行ってきたときに聞いた印象的な言葉で「私はアイデアがたくさんある人間ではない、アーティストはアイデアが一つあればいい」というのがあって、アニッシュ・カプーアも、まさにもれなく同じ考えを持っているだろうと確信する作家で私はアートが好きになったころからずっと好きな作家です。

どういう作品が置かれているかだいたい想像は付くのだけど、それでも見てみたい、体感したい、と思わせる作品はとても好きです。わかってるんだけどね。あの景色もう一回みたいよね。という感覚に近いのかもしれないですね。

個人的には数年前のこの作品を見に行けなかったのが悔やまれます。


anish kapoor descension

 

いま開催中のSCAI THE BATHHOUSEの展示はこちらです。

www.scaithebathhouse.com

土日たくさん働いた分今日は仕事を休んだ、ということが、今日の普通の出来事でした。

土日感の普通さとトーマス・ルフ

ブログを始めるきっかけになったのは、昨日、今日が、久々の仕事をしない土日だったからだ。

そんなわけで、

土曜日は、ちゃんと洗濯をして、雨のコインランドリーに走り、スカイプ英会話をして、先日「君の名は」を見て興味を持ってしまった新海誠監督の過去作をうっかりいろいろ見て、根底にあるものをなんとなく感じながら、なるほど…と思っていたら、いつのまにか居眠りをしていて、いかんいかんと思って喫茶店に行って勉強をして、ファミレスでご飯を食べて寝る。というだらけた生活を。

日曜日の今日は、昨日の反省を生かして朝から出かけることにし、東京国立近代美術館トーマス・ルフ展を見て、帰宅してスカイプ英会話をして英語が上達していないことを嘆き、ジムに行って身体を動かし、なぜかDAOKOとMAGMAをYoutubeで見るという。

非常に普通のだらだら充実した土日を過ごすことができて満足です。

 

トーマス・ルフは、とてもドイツ的というかモノ感のある写真なのだけど、ベルント&ヒラ・ベッヒャーの教え子だったというのは意外というか、聞いて納得。特によかったのは、近年の作品を見ると、本人は写真を撮ってなくて、「写真」というフォーマットをメタ解釈して様々な手法を実験していると見える姿勢がよかったです。

ということで、ルフの"jpeg"シリーズのオマージュとして、近代美術館前のお堀の前で撮った写真を解像度落としてjpeg圧縮した写真を貼っておきます。

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アルゴリズム違うから全然いい感じの圧縮感出ない…

ともあれ、行かれてない方は、ぜひ。

thomasruff.jp

 

普通のこと、はじめます。

私は、もともとアウトロー、というかインディーズというか、いわゆる普通じゃないと思われているものを好む傾向はあったのですが、

ここ数年は、仕事や様々な為すべきことと思い込んでいたことを一生懸命やりすぎてしまい、いわゆる普通のこと:休日らしい休日、旅行、家事、テレビみたり本を読んだり…といったことができず、その結果、身体を壊したりいろいろ歯車が合わなくなって来て、マズイなという自覚がでてきたため、意図的に普通のことを記録してみようという試みです。

世の中には普通の人なんていない。というのも事実ではあれど、自分が普通だと思えることができる状況が幸せなのではないか、とも思い、普通を取り戻していくために、私が普通だと思うことをつらつらを日記的な感じで書いていこうと思います。

一言でまとめると、普通の日記です。よろしくお願いいたします。